戦後の「江北図書館」の激動期を支えた冨田八右衛門。彼が理事長として成し遂げたもう一つの大きな仕事が『近江伊香郡志』の編纂・出版でした。
『近江伊香郡志』の編纂は大正11年(1922)、当時郡長だった松原五百蔵の提唱により、江北図書館で始まりました。郡会は年間1千円(群制廃止まで毎年)の補助金の交付を決議。編纂会は、総裁に松原郡長、会長に八右衛門の父で郡会議長だった冨田八郎が就き、各村長、小学校長、神官僧侶など、300人超で構成されました。
郡民の関心と協力を求めるため、木之本実科高等女学校で郡内各地に伝わる古文書や文化財約3千600点を展示する展覧会を開催し、累計1万人の参観者が訪れる大盛況だったそうです。正に郡志編纂は郡を挙げての一大事業となるはずでした。
しかし、わずか4年後に群制が廃止。廃止に伴い、行政文書の多くが廃棄されたり、県に移管されたりすることが多い中、図書館の理事長となった八郎は伊香郡役所文書を図書館で保管することを英断します。郡志編纂事業も継続し、何とか脱稿に漕ぎつけるも、時代は開戦へ。戦中は軍事・人口・経済に関する事項は公表できず出版は叶わずにいました。終戦後もしばらくは敗戦の混乱で出版に適した紙が手に入らなかったそうです。編纂会設立から25年を経た昭和22(1947)年11月、編纂に尽力した八郎は出版を見ずに亡くなり、編纂会は解散してしまいます。
その後は、図書館理事長を継いだ息子の八右衛門が個人として編纂を継続。雨森芳洲の項目や戦後の町村合併などの資料を新たに補い、事業着手から30年後の昭和27(1952)年11月、ようやく『近江伊香郡志』は、八右衛門の私費にて出版されました。
当時、中学生だった八右衛門の息子の光彦氏(前理事長・名誉館長)は、手書きの原稿の山を部屋に広げて格闘する父を見て「手伝えるものなら何でも手伝いたいと思ったが、何にもできなかった」と振り返ります。
江北図書館には、この郡志編纂の過程で作られたメモや資料、絵図など約834点が「『近江伊香郡志』関係資料」として残されています。地元の人々が自らのルーツを辿るとき、先達が残してくれたこれらの資料が大きな助けとなるはずです。これからも大切に守り継いでいきたい地域の宝です。
<⑤へつづく>…この連載は、朝日新聞滋賀県版に掲載されたものを修正して投稿しています。