日記「はじめてのたこ焼き」

私は先日、たこ焼きデビューした。
正確にいうと、ひとりでたこ焼きが焼けるようになった。
その嬉しい進歩をご報告する。

関東で生まれ育った私にとって、たこ焼きは家でつくって食べる文化がなかった。
私のたこ焼きの思い出は「築地銀だこ」が好きで買い物の帰りにお土産として買って帰るか、お祭りの屋台あるいは高速道路のSAなどにあった自販機で買って小腹を満たすものであった。
つまり外出したときに買えるちょっと特別なイベントであって、家で自分でつくるなんて思いもしなかった。
また学生の頃も「タコパしよ〜!」というような友人に巡り合うこともなく、たこ焼きをおうちでせずに30年経ってしまった。
大阪ほどではないにしても、関西圏へ移住したのに在住歴7年にしても出会うことがなかった。

そんな私に先日、転機が訪れた。
イカハッチンのすみれさんのおうちに遊びにいき、あれこれとおしゃべりをしているなかで、夜はおうちでたこ焼きを食べようとお誘いいただいた。
「たこ焼きおうちで作ったことない」と言ったときのすみれさんの目が点になっていた。
関西生まれ育ちのすみれさんにご指南いただかなくては、一生たこ焼きをおうちでする機会はないかもしれないと思い「ぜひ、つくりましょう、食べましょう、教えてくださいいい!」と心の中で五体投地をしながら言った。

目次

はじめてのたこ焼きができるまで

まずキャベツを刻むミッションをいただいた。
おしゃべりをしながら刻んでいたのだが、ひとつのことに集中するとまわりが見えなくなる私はすみれさんに「半玉全部刻まなくてえぇよ」と優しくご指摘いただくまで徹底的にキャベツを刻んだ。
たこ焼きをつくったことがない人間は想像力も乏しいので、この後起こることが全く予想がつかなかったのだ。

次のミッションにタコのカットを任された。
「ちぢむから少し大きいくらいやな」とアドバイスいただいた私はまたしてもすみれ先生にご指摘いただくまで、生地で包めるのか?というくらいの大きさのタコを量産していた。
母の料理の手伝いをはじめた頃、似たような指摘をされたことを思い出し、ここでも想像力の欠如を実感した。

そうこうしているうちに、すみれ先生は生地をつくっておられ、あとは焼くだけとなった。
専用の油しきをみて、やはり自宅でたこ焼きをするおうちにはそれ相応の装備があるのだ。
まずはすみれ先生にお手本を見せていただく。
具材に生地が流し込まれ、かたまってくるのを待つ。
ここでキャベツの必要量とタコのサイズについてようやく理解する。

ほんの少し生地が膨張してきて、竹串でひょいひょいと返すとあの見慣れた球体が現れて「おー!たこ焼きだあ!」と声をあげてしまった。
早速いただきますと、刻み紅しょうがが良いアクセントになってうまうま。
チーズも生地を流し込む前に入れて焦がしてみると表面がパリパリになってなおうまうま。

以上、すみれ先生のお手本をもとにひとりでできるかな!
はじめはビビりで流し込んだ生地が少なく、穴あきができた。
「はみ出るくらいがちょうどえぇ」とのお言葉をもとに、大胆に生地を流し込む。
半球状の型からはみ出た生地をうまく巻き込みながらひょいと返すと、たこ焼きができた!

ガラス越しにたこ焼き屋のお兄さんがひょいひょいと素早く返して生み出す球体いやたこ焼き。
あのたこ焼きを自分の手でつくれたことに非常に感動した。

かくして私も関西在住でたこ焼き焼けるよと言えるようになった。
ユートピアで生きる力がひとつ上がった。

むつみ

キャベツを千切りを量産しているつっしーとタコを大きめに切っているつっしーが目に浮かんで可愛すぎた🐙

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この記事を書いた人

合同会社nagori代表社員/観音ガール

1993年生まれ、東京出身。15歳で仏像と出会う。日本女子大学で中世日本史を研究する傍ら各地の仏像を巡る。溢れる仏愛を止められずに人材会社を退職し、長浜市地域おこし協力隊観音文化振興プロジェクトに3年間携わる。仏像を中心に文化財・地域文化に特化したコンサルティングのほか、講演会や執筆業を行なっている。

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