大見は、滋賀県長浜市の山間、渓流沿いにひっそりと古民家が立ち並ぶ集落だ。
住民は30人、平均年齢は70歳オーバーのまごうことなき「限界集落」。
東京からここに越してきて早1年が経った。
集落の春夏秋冬は忙しい
雪に翻弄された初めての冬。2022年の元日は、集落の人たちと囲炉裏を囲みお餅を食べた。雪が溶け始めると蕗のとうが顔を出す。タラの芽やツクシも味わった。春が過ぎると家の裏の竹林でタケノコが元気よく伸びてくるので掘り起こす。放置すれば竹林がどんどん広がるので必死だ。
梅雨時期、大見集落で長年食べられている辛くない唐辛子「なんば」のタネをまいた。梅干しに挑戦したのもこの頃。真夏にはご飯がすすむ一粒ができた。夏は草との闘いだ。集落総出の草刈りで手足が痛くなり、日頃こまめに草を刈ってくれるおじさんに感謝した。
秋になると真っ赤になったなんばを収穫し、干す。里芋と前の冬に仕込んだ手前味噌と炒め煮すれば大見だけの郷土料理「なんば味噌」の完成だ。冬の保存食だが、おいしくて食べきってしまった。これから二度目の冬が来る。築150年の我が家を守るため、早く雪囲いをしなければ。
田舎暮らしは「丁寧な暮らし」じゃなかった
田舎暮らしは「丁寧な暮らし」というよりも「忙しい暮らし」だった。生活のためにすべきこと、楽しみのためにすると良いこと、が次から次にやってくる。人が生み出す労働や娯楽とは違い、季節と共にあるそれらは私たちとは関係なしに過ぎ去ってしまう。季節に置いていかれないように、日々の暮らしを組み立てていく。そこに田舎の豊かさがある、と思う。
大見の人たちの親の時代、集落での生業は「炭焼き」だった。
木を切って、窯で焼いて炭を作り、売る。平成に入り、大見の人たちは炭焼きの文化を残そうと、別の集落から手順を教わり窯を作って復活させた。「見てみたいなぁ」と呟いていたら、炭焼きグループのおじさんの1人が「ほんなら、やるか? えらいで(大変やで)」とにやり。炭焼き「体験」のつもりで気楽に向かった私を待っていたのは、過酷でおもしろい山仕事。次のページではその模様をたっぷり紹介する。
(つづきは雑誌『サバイブユートピアvol.2』をご覧ください!)
限界集落でサバイブする
コラム〈カメムシが多い年は雪も多い〉
カメムシが多い年は雪も多い。柿が豊作の年は雪が多い。
そんな都市伝説のような言葉を移住してから何度も聞いた。2021年はカメムシも柿も多かったようだ。10年に一度の「当たり年」だった。年末からの大雪で、雪かきが日課に。降っている最中からどかさないと、雪が重くなって労力が何倍にもなると知った。どかしてもどかしても、屋根から落ちる雪が積もって私の身長を超えていく徒労感も知った。
3月まで筋肉痛と共に過ごした。ツラさもあったが、雪は美しかった。強風で飛ばされた粉雪がキラキラと光りながら波のような模様をつくる光景に見惚れた。飼い犬は本当に庭を駆け回った。
雪かきは生活するために必須だが、世で言う「生産性」からは遠い作業だ。でも私はこの作業が意外に嫌いではない。生きるために生きているぞ!と心の中で叫びながら、今年も雪かきをする。
コラム〈大雨のハレの日〉
2022年8月5日、長浜市で1時間90ミリという猛烈な勢いの大雨を記録。普段は橋の上からでも川底が透けて見える高時川が、大木を押し流す濁流に変わった。下流では氾濫が発生。川沿いの大見集落でも冠水があり、床上浸水2軒、床下浸水3軒の被害が出た。石橋の欄干は砕かれ、土砂が舞い上がって風景は赤くなり、口には泥の味が広がった。
8月5日は私たち夫婦の結婚式の日だった。すごいタイミングである。上がり続ける川の水位に、早めに集落を「脱出」。事情を知る近所の人たちは「おめでとう。こんな日になって、忘れられないな」と言葉をかけてくれた。その30分後に川は溢れた。住民は近くのキャンプ場に避難した。避難指示のアラートや心配のメッセージで通知が止まらない中、どうにか式を挙げられた。
1ヶ月経っても、川は元のようには戻らない。「川は逃げないから」とこの夏は川遊びもしていなかったのに。周囲の人は「こんなに長く濁ることはないんだけど」と言う。川に何かが起こっているようだ。上流部で土砂の流出の可能性があると聞き、現地を見に行く計画をしている。いつの間にか「うちの川」と口をつく存在になった高時川で、10年後も川遊びができるように。いま自分に何ができるのか、考えている。