日記「養老行きでおなかいっぱい」

「疲れた体には肉が良い」と聞いた言葉を思い出して、仕事終わりにお隣岐阜県の養老へ牛肉を買いに行く。
養老行きの嬉しさは、あとで食べるお肉への期待だけでなく、道中もすこぶる楽しいのだ。

長浜市からだと必ず関ヶ原を通る。
では、どう通るかというところで楽しみがある。
中山道系の国道21号線、北国街道脇往還系の国道365号線のどちらの道を楽しむか。

高速道路ができても国道にはたくさんトラックが走っている。
行き来するトラックをみると、滋賀、福井、石川、鳥取、岐阜、群馬ナンバーなどをみかけて、今も変わらず交通の要衝として活躍していることを感じる。
人や馬が走っていた道を、現代はトラックが走り、物を運ぶ。
※さすがに旧道をトラックは走れないが、その役割を代わった国道をゆく。

米原以南で用事を終えた時は、国道21号線をゆく。
柏原あたりから旧道に入り東へ行くと、司馬遼太郎氏の『街道をゆく』でお馴染みの近江国と美濃国の国境である溝が見られる。
私もはじめて訪れたときは跨いで、ひとり静かにはしゃいだ。

写真中央の溝が国境

そのまま旧道を進むと、壬申の乱で大海人皇子に敗れ、大津・瀬田で自害した大友皇子の頭が葬られていると伝わる自害峯の三本杉。
そして壬申の乱後につくられた東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関とともに古代日本三関の1つである中山道の不破の関に至る。

長浜や木之本から養老へ向かう時は、国道365号線が早いようだ。
国道365号線をゆくと、関ヶ原の戦いにて石田三成が陣を張った笹尾山近くを通る。
関ヶ原の戦いの決戦の地も近く、三成の陣からの距離の近さがなんとも切ない気持ちになる。
少し国道から逸れれば、敵中突破で帰国した島津義弘の陣に、開戦の地。
ここからは島津義弘とおおよそ同じルートを辿ることになる。

どちらの国道で向かっても最後は名神高速道路をくぐり、その先は「島津の退き口」で知られる上石津だ。

「島津の退き口」についてはこちらからが分かりやすかったです。

https://www.ogakikanko.jp/shimazunonokiguchi/

現在、焼肉街道と呼ばれている道は、かつて関ヶ原の戦いで多くの犠牲を払いながらも島津義弘本隊が撤退した道でもある。
私が嬉々として通る道は、約400年前、命からがらに帰郷するために多くの兵が駆け抜けた道なのだ。
お肉屋さんの背後にそびえる養老山地を越えて、近江へ、大阪を出て、帰るルートは現代人からは想像もできない過酷な道だ。

毎度すごい道を走っているものだと思いながら帰宅し、すき焼き、焼肉を楽しみ、おなかも気持ちもいっぱい。
あ、養老寺のほとけさんにもお会いしにいきたいな。
さてさて、明日もがんばろう。

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この記事を書いた人

合同会社nagori代表社員/観音ガール

1993年生まれ、東京出身。15歳で仏像と出会う。日本女子大学で中世日本史を研究する傍ら各地の仏像を巡る。溢れる仏愛を止められずに人材会社を退職し、長浜市地域おこし協力隊観音文化振興プロジェクトに3年間携わる。仏像を中心に文化財・地域文化に特化したコンサルティングのほか、講演会や執筆業を行なっている。

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