大正15年(1926)、郡役所制度が廃止から太平洋戦争に突入していく流れの中で、「江北図書館」は存亡の危機に直面します。
郡制が廃止されると郡からの補助金は途絶え、昭和7年(1932)には創設者の杉野文彌が死去し、杉野からの寄付金も途絶えました。日中戦争が始まった昭和12年(1937)、図書館が入居していた旧税務署の建物は売却処分されることになり、約1万3千冊の蔵書を抱えて北国街道沿いの旧江北銀行の建物に移転。
昭和22年(1947)には、設立当初から図書館運営を支え続けた理事長の冨田八郎が死去。翌年、息子の冨田八右衛門が理事長を継ぎましたが、戦後の混乱期は誰しも生きることに精一杯で、理事や役員を引き受ける人が他に見当たらず、昭和25年(1950)3月、財団法人としての江北図書館は一度消滅してしまいました。
しかし、八右衛門は「社会が荒廃している時にこそ、国土の復興・発展を担う青少年に図書館の存在が必要だ」と、館長として図書館そのものの機能は堅持。県北唯一の図書館として利用者は拡大していく中で、見通しがつかないまま、私財を投じて運営を続けました。
そして昭和48年(1973)、戦後復興が進み、地域の人々に「先人たちがつないできた知の灯火を絶やすな」という機運が高まり、伊香郡4町の町長や教育長らによって財団法人としての再建が図られることになりました。翌年からは、伊香郡町村会からの補助金を受けられるようになり、昭和50年、老朽化していた旧建物から、現在の建物である伊香農業協同組合の建物に移転。戦後の存亡の危機を脱しました。
同時期、運営が暗礁に乗り上げたのは江北図書館だけではありません。明治30年代から昭和20年代までの間に県内で創設された40館以上の図書館のうち、大正15年の郡制廃止や、設立者の死去、戦禍の影響などで35館が閉鎖しました。終戦後、運営が続けられたのは滋賀県立、彦根市立、水口町立、近江兄弟社図書館、叡山文庫、江北図書館のわずか6館のみでした。
<④へつづく>…この連載は、朝日新聞滋賀県版に掲載されたものを修正して投稿しています。