先代からの念願だった『近江伊香郡志』(1952年)を出版し、「江北図書館」の運営基盤の確立を見届けた9代理事長冨田八右衛門は1980年12月に亡くなりました。
翌年7月、息子の光彦さんが理事長に就任します。光彦さんは学生時代、父の八右衛門に「僕は図書館運営を継いだ方がいいんでしょうか?」と尋ねたことがあったそうです。その時の父の答えは「とてもじゃないよ」。
だから、打診にも初めはそう断りました。当時、滋賀大で教壇に立っていた光彦さんは、その傍ら祖業の酒造業も気にかけ、多忙を極めていました。断り文句は本心から出た言葉だったと言います。
しかし、郡史編纂のため、原稿を床一面に広げて格闘する父の姿や、戦後進駐軍が戦争関連の貴重資料を没収に来たのを辛くも守ったと父が話したのを思いだし、「先代たちが苦労して積み上げてきた歴史を放って置くことは出来ない」と覚悟を決めたそうです。
理事長時代、光彦さんが特に気にかけたのは、図書館の開館100周年をどう迎えようかということでした。戦後、県内に5館しかなかった図書館ですが、1980年代以降、公共の福祉として必要とされ、近隣地域にも近代的な公立図書館の誕生が相次ぎました。
図書館不在地域の「知の灯火」と言われた江北図書館の役割自体が少しずつ変化し始めていました。光彦さんら当時の理事たちは「これからの100年を考えるために、これまでの100年をまとめ直すことが必要だ」として、100周年記念式典の実施と百年史の作成を決議します。
式典は、国立国会図書館長や日本図書館協会理事長、日本ペンクラブ会長などを招き、盛大に実施されました。中でも図書館にとって幸運だったのは、創設者杉野文彌の没後、戦後の混乱期以降に交流が途絶えていたご親族である孫の晋氏を探し当て交流が再開、式典に参加してもらうことが叶ったことでした。 百年史は式典資料として配布したほか、県内の総合文化誌『湖国と文化 121号』にて「江北図書館100年物語」として掲載されました。
また、理事会は図書館が持つ歴史資料を向後に生かすため、貴重図書の保存、活用体制の整備にも心を砕きました。2014年、江戸~大正の和装本や洋装本、旧伊香郡役所文書などの歴史資料など計約1万2千点をまとめて「江北図書館文庫」として、滋賀大学経済経営研究所に寄託。文庫の閲覧は定型の閲覧申請書を提出すれば可能で、実際に文庫を活用した研究報告や、講演会も実施されてきました。
同研究所の協力を得て、デジタルアーカイブ化も勧められました。光彦さんは「地域の歴史を学ぶことは、自分たちが何に生かされて今ここにあるのかを学ぶこと。先人たちの辿ってきた道から、自分たちがいかにすべきかを考えてほしい」と語ります。
<⑥へつづく>…この連載は、朝日新聞滋賀県版に掲載されたものを修正して投稿しています。