【私の町のちいさなふるい私設図書館②】「杉野文庫」から「江北図書館」へ

 創設116年の公益財団法人「江北図書館 」。その前身の「杉野文庫」は明治35年 (1902)、余呉町出身の弁護士杉野文彌が「郷里の若者に勉学の機会を」という熱意の下、約3千冊の書籍を集めて開設しました。しかし、『近江伊香郡志 下巻』(江北図書館発行、1953)よると、順風満帆とは行かなかったそうです。 当時の農村地域では想定外に利用者が少なく、東京在住の杉野の代わりに文庫を適切に管理してくれる人も見当たらず、運営は難航しました。そこで、杉野は当時の伊香郡長林田民次郎に相談を持ち掛けます。杉野の志に共感した林田らは明治37年(1904)、木之本村の中心地にあった伊香郡議事堂の一角を 用意し、「杉野文庫図書縦覧所」を開設。さらに、図書館の運営基盤を固めるため 、明治39年(1906)、県内外の有志から 募って蔵書を約7千冊とし、寄付金1万円 を基本財産として、文部省に財団法人の設立を申請。翌年1月に「財団法人江北図書館」が開館しました。

開館当初の(明治40年ごろ)江北図書館外観

 この頃、全国的に図書館開設の動きが活発になり、各地で170館の図書館が設立されたといいます。 財団法人となった江北図書館は、理事長兼館長に歴代郡長が就くことになり、理事や役員は郡内の各町村長、学校長、地域の有力者らが就きました。杉野からの寄付金に加えて、伊香郡役所からの交付金を受け られることになり、目論見通り基盤を固め 、基本財産を蓄えていきます。

 その後、旧税務署に移転。江北図書館は地域の人々に求められ、明治40年には1万6410人だった利用者は、明治45年には4万3353人に増加。蔵書数も、8908冊から1万3119冊に増えていきました。当時は閲覧料を取ったり、館外貸し出しを禁止していた図書館が多い中で、江北図書館は館内での無料閲覧や、実質無料で館外貸し出しを許可。また、各村への巡回図書サービスをしたり、駅舎の中に文庫を設置したりするなど、県北の唯一の公共図書館として、読書文化をけん引していました。

開館当初の(明治40年ごろ)江北図書館内観

 しかし大正15年(1926)、郡役所制度 が廃止されると郡からの補助金は途絶え、 昭和7年(1932)には杉野が死去し、寄付金も途絶えてしまいます。 設立当初から図書館運営に尽力してきた有志達も次々と鬼籍に入り、第二次世界大戦の勃発とともに図書館の運営は暗礁に乗り上げました。

<③へつづく>…この連載は、朝日新聞滋賀県版に掲載されたものを修正して投稿しています。

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この記事を書いた人

丘峰喫茶店/出版社能美舎

1986年生まれ、埼玉出身。新聞記者として神戸、佐賀、滋賀に赴任し、2016年退職。同年8月、がんを患い寝たきりとなった友人から、聞き書きした旅行記『「がん」と旅する飛び出し坊や』を制作したことがきっかけで版元に。長浜市へ移住後に喫茶店を開店。1児の母。

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