水脈をさがす #001 わたしたちの水脈

水脈を探す
水脈を探す

笑いながら聞いてほしい。
本気で水脈を探そうと思っている。

水脈がなにか小難しい思想的なものとかを暗示しているとかではなく、単語の通り水の通り道、そしてそれが湧き出す場所のことだ。たとえば湧水とか、山水とか。とにかくお腹を壊さず飲める水。多少掘ってみるとかもありだ。

今日は連載の第一回目ということで、そもそもの話をしたいと思う。
なぜ水脈を見つけようとしているのか。

これは、わたしがユートピアを目指すために大真面目に水脈を探す連載だ。

目次

物理的サバイブ力

わたしは基本的に田舎が大好きだ。

生まれも田園地帯なので、いつも周辺に緑がないと落ち着かない。
できればいつも全身で季節を感じていたい。特に梅雨の前のカエルの鳴き声が大好きだ。
夜にケロケロという声を聞きながら寝る時が1年の中で一番幸せな季節だと思う。

若い頃には都会も経験し、耐えきれずすぐに地方に移り住み、その後何度かの移住を経て(おそらく)定住の地となるであろうこの長浜市北部。育った地域にも似た空気があって、おかげさまで楽しく暮らしている。

起業、出産、育児、などなど人生のいくつかの大きめの契機も迎え、精神的な意味でサバイブしていくためのコミュニティ(つまりイカハッチン)も得ることができた。

でもずっと気になっていたことがある。

田舎で、ものも豊か。野菜を育てている人も多いし、人も優しい。
でももし大きな震災などがあったりしたら、わたしは物理的にどれくらいの期間サバイブできるのだろうか。

利他的な気持ちの湧きどころ

2011年の東日本大震災の日、たまたま東北のとある町にいて被災してしまった大学生のわたしは、たどり着いた青森県の避難所である光景をみた。

小学校の体育館の避難所はすでに満員で、本来は避難所ではない小さな公民館を地域住民が自主的に開放したものだった。避難所に入ったのは3月11日の21時半ごろだっただろうか。当然、支援物資などのルートもまだ確保されていない。

「わるいなぁ、ここほんとは避難所じゃないから、発電機もないし、電気もつかえない。こんなとこでわるいな」と申し訳なさそうにいう地元のおじいさん。

電気が使えないことなんてかまわなかった。寝る場所を提供してくれるだけでありがたかった。

幸い手動で発電するタイプのヘッドライトを持っていたので、なにか食料はないかと自分の荷物を探っていると、パッと明かりがついた。あれ、発電機がないってさっき言ってたのに。

どこからともなく地域の人が自宅から小型の発電機を持ち寄ったようだった。
いつのまにか避難所の真ん中あたりにラジオも置かれていた。その後、燃料節約のため発電機は昼の数時間と使用時間が決められたようだったが、携帯の充電も切れていることだろうと取り急ぎ発電機を動かしてくれたのだ。聞くと、この地域で止まったのは電気だけのようだった。

外ではドラム缶で焚き火もしているようで、時折パチパチと薪が爆ぜる音と、おじいさんたちが東北の言葉で今後のことを話し合う声が聞こえていた。
寒く無いか?と近所の住民らしき女性が毛布を差し入れしてくれた。到着してすぐ、わたしが歯ブラシを忘れたとつぶやいたのを覚えていて、歯ブラシまで持ってきてくれた。あんな非常事態時に歯みがきのことを気にしてしまった自分が心底恥ずかしくて、今でも思い出してちょっと落ち込む。
ラジオからは一晩中震災の状況が流れていた。

翌日起きると、調理場で数人の割烹着姿のおばあちゃんが炊き出しを作っていた。調理場の無い体育館の避難所にも持っていくらしく、ものすごい量のおにぎりと味噌汁だ。
とりあえず自分にやれることも少ないし、ネギを切るのを手伝いはじめた。近くにいたサラリーマンらしきスーツの男性もおにぎりの配膳を手伝っていた。

「お米とか味噌とか野菜とか、どこから持ってきたんですか」と何気なくおばあちゃんに聞いた。
「あんたそんなもん、このへんは農家ばっかりだもん。米も味噌も余るほどある。みんなの家からちょっとずつ持ちよってだな」

とにかく驚いてしかたなかった。
当面の間は持っていたプロテインバー1本と飴とペットボトルのお茶で過ごすことを覚悟していたのだから。

この人たちはこんな先行きも見えない大変なときに、見ず知らずの人にこんなにたくさんの食料をわけてくれている。
そのありがたさに恐縮しながら、何も返すことのできない罪悪感を込めてネギを切りまくっていたら、「あんたよく働くからうちの孫の嫁にどうか」「いやうちの嫁に」「いやうちn」とたくさんのおばあちゃんからスカウトしていただいた。「気にするな」という彼女たちなりの励ましの冗談だったのだと思う。

何かが理由でインフラが一時的に止まっても、発電機で電気を起こし、火で暖をとり、調理することができ、近くにいる人を少しの間なら支えることができる。なんて力強くてたくましいのだろうと思った。

そしてその有り様がわたしにとっての最終的にめざすべき理想の暮らし(ユートピア)になった。

「なにかあってもしばらくの間はサバイブできる」という状況を持つことで、まず落ち着いていられるし、非常事態でも利他的でいられる。そうありたいと思う。

日常生活とはある意味、そのための助走期間でもあるんだろう。

もしインフラがとまったら?

それでなぜ水脈なのかというと、いつだったかイカハッチンメンバーの堀江昌史ちゃんと何気なく「もしインフラ(主に水道、ガス、電気)が止まったら」という話をしていたときだ。
なぜそんな話をしていたのかは覚えていないけど、たしか家に薪ボイラーを入れたいんだよね、みたいな話題から始まったんじゃなかっただろうか。

えりこ

まずコンロはガスならしばらく使えるよね。暖やお湯は薪とか炭で確保するとして。電気は発電機とか…?太陽光もあったほうがいいのかな。味噌はとりあえず1年分は確保するでしょ。米はマサミがつくっているから今年から手伝うことにする。

まさみ

飲み水がいるな。あとは水か。

えりこ

胡桃谷の名水とかあるけど、水が止まったらきっと人が並ぶよね。井戸水も昨今電気のポンプがなきゃ組み上げられないし。

まさみ

水脈を探すしかないなぁ

えりこ

それだ。わたしたちの水脈を山に探しに行こう。藪をかきわけて。

そんなわけで、当面生きるための飲み水を確保するためには「水脈がいる」という結論に至ったのである。こんな話を大真面目に受け止めてくれる人がいることに感謝だ。

念の為断っておくと、「わたしたちの」という表現は「独占する」という意味では無い。緊急の時にはきっとその水脈を開放するだろう。
「わたしたちの」にしておくのはその方がサバイバル感やわくわく感があるからという理由なので深く気にしないでほしい。なんだって秘密って楽しいものだよね。

それでは、次回は「味噌は最強」または「水脈さがしの道具たち」をお届けします。
大真面目だけど明るく楽しい、でもきっといつか生きる糧になる。そんな連載をこれからもお楽しみに。

果たして水脈は見つかるのか!?

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この記事を書いた人

カフェと日用品 コマイテイ店主 / 合同会社kei-fu代表

1988年栃木県出身。趣味は料理、山歩き、民俗資料館めぐり、DIY。特技は手先が器用なこと。美術大学で金属加工を学び、北陸で会社員を経て、大学院に進学し文化資源学を学ぶ。2018年3月に仕事の誘いをきっかけに木之本に移住。2019年に合同会社kei-fuを設立し、「カフェと日用品 コマイテイ」を運営。2児の母。

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